いや〜、大変な目にあってしもうた。まさかわしがこんな目に巻き込まれるとはのぉ!
目が覚めたのは、1月3日朝4時半頃だった。聞こえるのはバスのエンジン音だけであり、どうやら乗客の中で起きたのは私一人のようであった。バスの中のよどんだ空気もそうだが、走っては止まり走っては止まるバスの規則的な動きに嫌気がさし、私はバスのカーテンを開けた。
なんと、そこは一面の銀世界であった。まだ頭がうまく回転しておらず、少しの間状況が把握できず、いろんな事が頭を駆け巡ったが、しばらくして昨日の寒波到来のテレビニュースを思い出した。
「ああ、Uターンラッシュのうえに雪か。ついてないなあ。今、どのあたりを走っているんだろう。朝7時に町田に着くのは無理だろうなあ」そんなことを考えながら、窓から外をぼんやりと眺めていたが、ぼどなく状況判断の甘さを否応なく気づかされた。
高速道路の路肩に放置してある車を発見。しかもその数がだんだん多くなってきている。なかにはテールランプをつけ、人の気配がする車もあるのだが、ほとんどの車に人の気配がない。
「こんな所に乗り捨てるから渋滞がますますひどくなるんだ」と怒りがこみ上げてきたが、ドライバーや、東京に向かうであろう家族づれ達はどこに行ったんだろう。この雪の中を・・・しかも高速道路の中から・・・
まもなく道路標識の「関ヶ原」という文字を発見し、私は打ちのめされてしまった。
朝7時頃、バスの乗務員から「五日市から浜松」間の東名高速が封鎖されており、最終目的地の横浜到着はいつになるか解らないとの報告と、乗客名簿を書いてくれるよう乗務員が一人一人に対し回ってきた。
「おいおい!これはなにか事故があった時のためかい。勘弁してくれよ!」とますます気が重くなってきた。予定外であるが養老SAに立ち寄ることと、名古屋で下車希望の乗客は駅で降ろすが、最後まで運行するため、運賃は返さないとの話があった。
バスに設置してあるテレビでは、「名古屋地方の47年振りの大雪のニュース」が流れていた。
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乗務員の話は二転三転した。養老SAに入りかけるが、なかなか先に進めない。本来バスが止められるスペースには一般車両が止まっており、大型車両が止まれるだけのスペースを2台分確保するのは、至難の業だ。まもなく、乗務員からスペースがないため、乗客は降ろさずこのまま出発する旨の放送があった。
それから30分。まだ駐車場の中だ。もうかれこれ1時間以上経っている。前にも行けず、後ろにも戻れず・・・
結局、前にも後ろにも行けずそのまま養老SAで30分の休憩となった。
バスの外の空気は新鮮だった。閉じられた狭い空間から開放された喜びと、外の世界がどうなっているのか知りたくて、レストランのある建物に走った。道路公団の高速道路情報を見ると、やはり、五日市から浜名湖までは、封鎖中とでていた。・・・よし、降りよう。
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名古屋での途中下車を希望したのは、私を含めたった3人だった。30人近い乗客のうち、ほとんどはそのまま行くという。あてのない旅を希望した。
念のため、新幹線は動いているのか確認し、最終的に途中下車を希望した。この瞬間に新たなる費用の発生を覚悟せざるをえなかったが、あのバスに戻る気にはなれなかった。
一般道は、多少雪が積もってはいるが、なんの混乱もなく名古屋駅に着いた。
新幹線のダイヤは乱れてはいるが、改札での混乱振りは思ったほどでもなかった。
新幹線での旅は快適だった。軒並み1時間近く遅れていたが、自由席キップできた電車に飛び乗ったので、待ち時間はほとんどなし。おまけに運良く座ることができた。
新横浜までの2時間は、ワンカップ4本とさきイカの助けもあり、快適な旅であった。
昼の12時頃、町田に到着したが、東京の空は真っ青でありで、あの騒動は何だったんだろうと思えるような晴天であった。
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